本の言葉 ~私の読書ノート~

文学、哲学、宗教、自己啓発、ビジネス、脳科学、心理学、男女関係… 500冊の本の名言

『私の幸福論』 福田恆存

      2018/03/05

<ネタバレ>

<ふたたび美醜について>

私の考えかたには救いがあるとおもいます。私は「とらわれるな」といっているのです。醜、貧、不具、その他いっさい、もって生まれた弱点にとらわれずに、マイナスはマイナスと肯定してのびのびと生きなさいと申しあげているのです。

私の幸福論をなぜ容貌の問題からはじめたかというと、私は、世のなかにはどうにもならないことがあるということをいいたかったからであります。

<宿命について>

私たち人間は、自由を欲すると同程度に、自由のないことを、すなわち宿命的であることを欲しているものなのです。

<自由について>

自由に生きて、自分のやりたいことをやるといっても、それだけではつまらない。誰もそんなことを欲してはいないのです。みなさんが欲しているのは、自由に生きて、しかもそれが行きづまることです。

私たちは、いつでも過去を顧みたとき、どうしてもこうせねばならなかったと観念できるように生きたいのです。それが真の意味の宿命というものであります。

<※結論>

私たちは出発点においても、また終着点においても宿命を必要とします。いいかえれば、はじめから宿命を負って生まれて来たのであり、最後には宿命の前に屈服するのだと覚悟して、はじめて、私たちはその限界内で自由を享受しのびのびと生きることができるのです。そうしないで、いたずらに自由を求めてばかりいると落ちつきのない生活を送らねばならなくなります。
――私がこの「私の幸福論」で申しあげたいのは、結局、この一事です。

<教養について>

こういうふうに自分の位置を測定する能力、しかも、たえず、流動変化する諸関係のなかで適切に行動する能力、そのみごとさが教養というものであります。

読書は、精神上の力くらべであります。本の背後にある著者の思想や生きかたと読む自分の思想と生きかたと、この両者のたたかいなのです。

<性について>

肉体主義というのは、かならず自慰に堕するものなのです。

<ふたたび性について>

私はつつましさ、羞恥心というものは最も日本的な美徳だと思っております。

<恋愛について>

自分独特の恋愛などというものはできないばかりでなく、恋愛小説、恋愛論、あるいは他人の恋愛、そういうものを知らなければ、たいていの人は、恋愛をしてみようと思いつきさえしないかもしれません。(※恋愛の模倣性)

(※恋愛は観念的である)
まだ恋愛とは呼びがたいささやかな感情の切れはしを恋愛小説や恋愛論を通じて頭のなかで知っている恋愛の観念にまで高めようとしているだけだからです。

<ふたたび恋愛について>

結合だけで分離のない恋愛はたんなる「いちゃつき」にすぎず、一種の不潔感を伴います。

結合のあとの分離こそ、その次の段階の結合を深めるものだと、なぜ考えないのか。そう考えるべきです。

<結婚について>

自分が相手とともにいて孤独だと思うときは、相手も孤独なのだと、なぜそう考える余裕をもたないか。それこそ、真の意味の「理解」ということでありましょう。

とにかく結婚とは、未知の領域にふみこむことです。

人生が賭である以上、結婚も賭であり、その責任は全部、自分が背負うべきであります。

<快楽と幸福>

快楽や快適を目標とする生き方は、どう転んでもこの利己主義の小さな穴からのがれられはしません。

私は快楽というものを、おのれ一人にしかかかわらぬ孤独な迷妄だというのです。

まずなによりも信ずるという美徳を回復することが急務です。親子、兄弟、友人、そしてさらにそれらを超えるなにものかとの間に。(※幸福の根源)








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